「チーム コカ・コーラ」の一人ひとりの思いが「東京2020大会」を支える
東京2020オリンピック・パラリンピックでワールドワイドパートナーを務めたコカ・コーラ社は、社内に「東京2020チーム」を組織し、開催をサポートしてきました。新型コロナウイルスの影響による1年延期や、直前での無観客開催決定など、不測の事態に多く見舞われながらも、東京2020チームのメンバーたちは、いかにモチベーションを保ち、困難を乗り越えてきたのか。今回は4名の社員による座談会を通じて、この異例ずくめだったオリンピック・パラリンピックを振り返ってもらいました。
文=小山田裕哉
写真=村上悦子
<プロフィール>
(左)小林琴音(こばやし・ことね)/日本コカ・コーラ株式会社(CCJC)所属。オリンピック・パラリンピックの開会式で、参加国名・地域名が記載されたプラカードを持ち選手団を先導する「プラカードベアラー」のプロジェクトを担当。
(中左)隈田大地(くまだ・たいち)/コカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社(CCBJI)所属。当初はコマーシャルプラニングチームに配属され、自動販売機における企画を担当。その後、各競技場などへの飲料の手配を行う「ベニューオペレーション」のチームに異動し、スタッフの採用からトレーニング、会期中のサポートなどを行った。
(中右)入部梓(いりべ・あずさ)/コカ・コーラ ボトラーズジャパン株式会社(CCBJI)所属。CCJCへ出向し、競技場へコカ・コーラ製品の供給手配を行う「ベニューオペレーション」を担当。有明、お台場、辰巳など東京湾に面した「ベイゾーン」にある14の競技場のオペレーションプランを取りまとめ、大会期間中は全国ボトラー社のメンバーで組織した各会場のオペレーションチームをマネジメント。
(右)宮本師門(みやもと・しもん)/日本コカ・コーラ株式会社(CCJC)所属。英語が堪能なバイリンガルということもあり、オリンピック・パラリンピック関連のイベント、資料、商材など、すべての利用承認をIOC/IPCと交渉する業務を担当。
※所属はすべて取材当時(2021年10月)のもの。
延期になったからには、より良い大会にしよう
――皆さんはコロナ禍の前から「東京2020チーム」に参加し、開催に向けた準備を進めてきました。しかし、2020年3月30日に1年延期が決定。本当に開催されるのかどうかも不透明な状況となってしまいました。まずは当時の率直なお気持ちから聞かせてください。
入部 正直、モチベーション維持が大変なときもありました。新型コロナウイルス感染状況の悪化に伴い、2021年春以降から観客数の前提をいくつか用意し、複数パターンの計画を追加で立案しました。観客数が変われば、これまで策定した業務プロセスや試算済みの必要リソースに影響します。そもそも開催されるのか先行きが不透明の中、気が遠くなるような追加作業が果たして無意味なものにならないか、不安になることはありました。
隈田 当初関わっていた聖火リレーも延期の影響を全面に受けました。実施の直前に中止が決まって、全国のポスターを変更することになったんです。「みんなで集まって応援しよう」と書かれていて、それを一斉に剥がしていただくよう、営業現場の皆さんにお願いしなければならなかった。その調整だけでも膨大でした。それに、ポスターをはじめとするあらゆるオリンピック・パラリンピック関連の販促物は、IOC(国際オリンピック委員会)やIPC(国際パラリンピック委員会)の承認を得なければなりません。だから、変更のたびに宮本さんには苦労をおかけして……。
宮本 いえいえ、あのときはお世話になりました(笑)。
小林 私は延期によってモチベーションが下がることはなかったですね。「プラカードベアラー」は今大会初めて実施されるプログラムで、いろいろな調整がギリギリとなっていました。それが1年の延期によって、改めてプログラムの意義を考え直す余裕が持てました。もともとはオリンピック開会式だけの予定だったんですけど、IPCとも交渉する時間ができたことで、パラリンピック開会式でもプラカードベアラープログラムを実施することができました。
隈田 確かに小林さんが言うように、「延期が決まったからには、もっと良い大会にしよう」とチーム全体のマインドセットが切り替わっていきましたね。
宮本 みんな、プラス思考になるのは早かったと思います。
小林 ただ、自分たちは成功させたいと思っていても、世間の雰囲気も意識しなければならなかったので、そのバランスをどう考えるかは難しかったと思います。
記憶がないくらい忙しかった日々
――そして、2021年7月8日、まさに直前で無観客開催が決定しました。
入部 無観客によって私たちの仕事がなくなったわけではないんです。私たちは選手や審判、メディアやボランティアなど競技場内にいるすべての人(カスタマー)に飲料をお届けしていました。無観客開催により競技場内で働く人数も変わりましたので、どのカスタマーにどの製品をどれくらいお届けするかについては、開会式の直前まで組織委員会や社内での調整が続き、それをオペレーションプランに落とし込む作業ではチームの雰囲気がすごくピリピリしていました。春ごろまでは和気あいあいとできていたのですが、あの状況下ではさすがに余裕が全くなくなって、私自身も叫びそうなくらいでした(笑)。
隈田 「ベニューオペレーション」チームのスタッフのトレーニングは、本来であれば都内の大きな会場に1,200人くらいを集めた決起集会からスタートするはずだったんです。そうやって一堂に会することで大会への気持ちを高めていく前提でプランニングしていたのですが、それが一切できなくなって、オンラインのトレーニングに切り替わりました。
入部 現場でのオペレーションを確認するために各競技場を視察することすら、なかなか難しかったですからね。
隈田 それで会期中になると、スタッフの方々が滞在するホテルに常駐して、「ベニューオペレーション」スタッフの事務局業務をしていたんです。「衣食住に関わるすべてを手配する」役割だったんですけど、常に300人くらいのスタッフが出入りする中で、感染対策を徹底し、「支給されたスタッフユニフォームのサイズが合わない」といった細かな相談も含め、あらゆることに対応しました。
――スタッフの相談窓口のような仕事をされていたのですね。
隈田 もちろん、皆さんそれぞれのポジションで忙しかったと思うのですが、私は6月半ばからホテルに常駐して、パラリンピックが終わる9月初旬まで、それはもう記憶がないくらいの勢いで日々をこなしていました(笑)。
――宮本さんはIOC/IPCへの申請担当とのことでしたが、会期中はどのようなことを?
宮本 会期中も申請は来ていたので、その対応をしていました。他にも、所属チームが渋谷のMIYASHITA PARKで行っていた「Team Coca‑Cola PIN ZONE」(オリジナルピンバッジのイベントスペース)も担当していたので、そのサポートもしていました。でも、基本的にはオフィス勤務でしたね。
小林 よくオフィスで一緒に競技を応援しましたよね。
それぞれの“終わり”の瞬間
――担当ポジションごとに忘れられない瞬間はありますか?
小林 やっぱり「プラカードベアラー」は、開会式を無事に終えた瞬間ですね。ベアラーの皆さんはオリンピック・パラリンピックの1週間前に東京に集まってプログラムがスタートしたんですけど、そこで初めて全員が顔を合わせるんです。そのときに「ここまで来た」とまずホッとして。そして、開会式が終わった後にはすごく達成感がありました。
衣装を身に着けたプラカードベアラーのメンバー
――数々のトラブルを乗り越えてついに、と。
小林 はい。私自身も不安なところはあったんです。でも、参加してくださった方は皆さん前向きで、私が逆に勇気付けられました。だから、無事に終わったときには私自身も興奮してしまって、控室で解散式をした際も、うまく話せないくらいでした(笑)。
入部 私も、大会期間中に苦楽を共にしたオペレーションチームの解散式が印象に残っています。コロナ禍のため、会場間のチーム同士で集まることに制約はあったのですが、全会場のマネジャーとノウハウ共有や人手のやりくりについて、オンラインを通じて毎日ミーティングを行い、いつしか一体感が醸成されていたように思います。オペレーション最終日にはマネジャーの皆さんと、自然発生的に解散式を行う流れになりました。そこで、助け合った仲間たちからかけていただいた言葉は忘れられない財産です。
ベニューオペレーションチームの皆さんと会場で記念撮影(前列右、入部さん)
隈田 一つのゴールに向かって苦楽を共にすると、家族のような関係になっていきますよね。私も事務局になっているホテルにいて、いろいろな方の相談を聞いているうちに、自分が寮母さんになったかのような錯覚を起こしていました(笑)。パラリンピックが終わり、2カ月近くも過ごしたホテルをチェックアウトするときは、その人たちともう関われないのだと思い、心にぽっかりと穴が空いたような気持ちになりました。
宮本 僕の場合はゴールに向かっていくという業務ではなかったのですが、それでも急な申請依頼とかもあって。パラリンピックの閉会式終了後に、日本コカ・コーラがその日限りの60秒CMを流すことが直前に決まったんです。急遽その申請をして、無事承認を得て、当日にCMが放映されているのを確認したときは、「ああ、これで終わったんだな」と感慨深かったですね。
多様性とモチベーションの重要さ
――皆さんが、東京2020チームで得たものは何でしたか?
小林 多様性について今まで以上に意識するようになりました。プログラムのテーマが「ダイバーシティ&インクルージョン」だったこともあり、自分自身では意識してきたつもりではいたんです。でも、ベアラーの方々と触れ合ったり、真剣にこのテーマについて考える機会を持てたりしたことで、いろいろなことを学べました。
宮本 僕も多様性に関する学びはもっと深めていきたいと思いました。例えばプレスリリースの申請を出すときに、こちらがOKだと思っていた表現が、IPCのチェックを通らないことが何度もあったんです。日本と海外では多様性についての考え方がかなり違うのだと分かりましたし、今まで気が付かなかったことに目を向けるきっかけになったと感じています。
入部 多様性について、出向先のベニューオペレーションチームで感じるものがありました。IPC委員の方の表現なのですが、「ミックスジュースではなく、フルーツポンチを目指そう」と。
――いろいろな個性が一つに混ざり合っているのではなく、違ったまま共存している。
入部 ベニューオペレーションチームは、いろいろな経歴や国籍のメンバーで構成されていました。CCJCのメンバーはプランニングに強みがあり、私のようなCCBJIから来たメンバーは、製品や機材についての知識やノウハウに強みがあります。国籍に関しては、オランダや韓国など多様でした。違いがあるからこそ、お互いを理解するためによくコミュニケーションを取る必要があり、だからこそ議論を尽くす場面が多かったように思います。それからもう一つ。モチベーションの重要性についても身をもって感じました。私が東京2020チームに参加した理由はキャリアアップのためなどいろいろ書きましたけど、「とにかく、どうしても関わりたかった」のが本音でした(笑)。
――入部さんはもともと水泳やトライアスロンなど、さまざまなスポーツに打ち込んでこられたんですよね。
入部 ええ。その影響もあって、オリンピック・パラリンピックという世界最高峰の舞台への憧れがあったんです。だからこそ、ぜひ参加したかった。パフォーマンスを上げるのも下げるのも、結局はモチベーション次第だという手応えを、身をもって得ました。この多様性とモチベーションに関する学びは、今後の仕事の大きなヒントになったと思います。
隈田 人のモチベーションをいかに維持するかというのは、私もすごく学びになりました。これだけたくさんの人と関わったから得られた学びだし、大きな財産になっていくと感じています。
宮本 東京2020チーム自体も、実はかなり多様性のある組織でしたよね。
――日本コカ・コーラの社員だけでなく、隈田さんや入部さんはコカ・コーラ ボトラーズジャパンからの参加ですし、オリンピック・パラリンピックの仕事のために入社した方もいらっしゃるとか。
隈田 最終的には60人ほどのチームになったのですが、バックボーンも年代もバラバラの人たちが集まったんです。そのメンバーが一丸となって、一つの目標に向かって頑張った、素晴らしいチームだったと思います。
オリンピック・パラリンピック大会を運営するという魅力
――東京2020チームに参加して良かったですか?
入部 もちろん! あこがれの、夢の舞台でしたから。
小林 私はそこまでの憧れはなくて、どれだけすごいイベントなのかということは、後から気が付かされたくらいでした。だけど、今は本当に参加して良かったと思います。プログラムが終わった後に、ベアラーさんたちから連絡をもらったんです。これをきっかけにLGBTQについて知りたいと思ったとか、学校や家庭で話をする機会を持つようになったとか。視覚障がいのあるパラリンピック開会式のベアラーさんは、「見えなくなっていくことがすごくイヤだったけど、アスリートが堂々と入場する姿に勇気付けられた」といってくださいました。そうやって誰かの人生のプラスになる仕事ができて本当に良かったし、この2年間の経験は、私が老後になっても絶対に振り返るものになったと確信しています。
隈田 私は子どもが2人いるのですが、テレビでオリンピック・パラリンピックのロゴを見ると、「パパの仕事だ」って言うんです。まだ小さいので、どこまで理解しているのかは分からないですが、子どもにそう言ってもらえる仕事ができたのは誇らしいです。それに一つの終わりに向かって、みんなで頑張るという経験は……クセになりますね。
――オリンピック・パラリンピックは運営する側にとっても魅力的ですか。
隈田 そうですね。実は2018年冬の平昌オリンピックにも参加しているのですが、あのときのスタッフはアルバイトの方々が中心だったんです。コカ・コーラ製品についてほぼ知識がないスタッフをまとめ、最後にはみんなで志を一つにして終わりを迎える。その快感にはたまらないものがありました。しかも、目の前で世界のアスリートが、僕らの提供するコカ・コーラ製品で笑顔になってくれる。その体験が忘れられなくて東京2020大会に参加しました。今は燃え尽き症候群のようになっていますが、また何らかのかたちで関わりたいとは思っています。
宮本 自国開催でやりがいもあって、一生に一度の経験ができました。個人の経験としてだけでなく、チームの仲間に出会えたことも僕にとって宝物です。解散した後も長く付き合っていきたいと思える人たちばかりで、本当にこのチームで良かったと思っています。
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