白黒写真のコカ・コーラの看板

コカ・コーラ社とオリンピックのパートナーシップの歩み

オリンピック・パラリンピックパートナーのロゴとコカ・コーラのロゴ

国境や性別、文化の壁を越えて世界中の人たちを感動と歓喜の渦に巻き込み、笑顔とハピネスでつなぐスポーツの祭典・オリンピック。コカ・コーラ社は、オリンピックの選手やファンにとってオリンピックの体験がかけがえのない思い出として残るよう、ワールドワイド・パートナーとして長期にわたる取り組みを続けてきました。

コカ・コーラ社とオリンピックの歴史は、1928年のアムステルダム大会にさかのぼります。できるだけ多くの人びとに、オリンピックの感動や興奮を届けたいという思いから、コカ・コーラ社では、観戦以外の形でもオリンピックを体感できるよう、オリンピック聖火リレーや、ピントレーディングなど多様なイベントを提供してきましたが、ここではそのダイナミックな歴史をご紹介します。

オリンピック・パラリンピックの年表とパートナーロゴとコカ・コーラのロゴ

◇1928年:アムステルダム大会(夏季)


コカ・コーラ社のオリンピックへの関わりは、1928年のアムステルダム大会から始まりました。このとき、アメリカオリンピック代表選手団に向けて1,000ケースの「コカ・コーラ」が大西洋を渡ったのです。この大会は、初めて「コカ・コーラ」の広告が登場したオリンピックでもありました。

また、女性が初めて選手として参加したのはこの大会の陸上競技であり、古代オリンピックの伝統であった聖火もアムステルダム大会から復活しました。

 オリンピックスタジアムの入口に掲げられた 「コカ・コーラ」の横断幕 (アムステルダム1928)

オリンピックスタジアムの入口に掲げられた 「コカ・コーラ」の横断幕(アムステルダム1928)

コカ・コーラとオリンピックのパートナーシップは、ここから始まりました (アムステルダム1928)

コカ・コーラとオリンピックのパートナーシップは、ここから始まりました
(アムステルダム1928)

◇1932年:ロサンゼルス大会(夏季)


ザ コカ・コーラ ボトリングカンパニー・オブ・ロサンゼルスの寄贈により、オリンピック記録掲示板が導入されました。この掲示板に、大会で樹立された18個の世界新記録が並んでいくと、スタジアムを埋めた10万5,000人の観衆の興奮はいやが上にも高まりました。

1924年と1928年の大会で金メダルに輝いた水泳のジョニー・ワイズミュラー選手は、1934年、女優のモリーン・オサリバンとともに「コカ・コーラ」のサービストレイとポスターに登場し、コカ・コーラ社製品を推奨するオリンピック選手第1号となりました。

また、ザ コカ・コーラ ボトリング カンパニーの提供で各選手の記録表示盤(レコード・キーパー)を導入。観客は円盤状の表示盤を回して、18種目の世界記録と各選手の記録を比較できるようになりました。

選手の記録表示盤 (ロサンゼルス1932)

選手の記録表示盤
(ロサンゼルス1932)

◇1948年:ロンドン大会(夏季)

第二次大戦のため、12年間中断を余儀なくされたオリンピックが再開されたのは1948年のロンドン大会からでした。このときコカ・コーラ社は戦争による痛手を乗り越え、スコットランドのグラスゴーと北アイルランドのベルファストから機材を送り込み、選手や観客の喉の渇きを癒やしました。

◇1952年:オスロ大会(冬季)

コカ・コーラ ボトラー社が協力し、ヘリコプターというものを初めてオスロ市民の前に登場させました。このヘリコプターは、当初ノルウエー選手のための資金調達活動に役立てられ、大会最終日には交通整理に一役買いました。

オスロに着陸するヘリコプター (オスロ1952)

オスロに着陸するヘリコプター
(オスロ1952)

◇1956年:メルボルン大会(夏季)

会場の420カ所に自動販売機を設置。また、大会の観戦を促す消費者向けの新聞広告を掲出しました。

消費者向けの新聞広告 (メルボルン1956)

消費者向けの新聞広告
(メルボルン1956)

◇1964年:東京大会(夏季)

ファンや報道関係者にオリンピックをより楽しんでもらえるよう努力を重ねてきたコカ・コーラ社。1964年の東京大会では、全国に16社あった当時のコカ・コーラ ボトラー社がオリンピック聖火歓迎キャンペーンを行い、全国的にオリンピック聖火リレーを盛り上げました。

そのほかにも、参加者がより素晴らしいオリンピックを体験できるよう、ガイドマップ、交通案内、観光情報、日英会話集を提供。中でも日英会話集は非常に好評を博し、1968年のメキシコ大会、1972年の札幌大会、1972年のミュンヘン大会でも、これを手本にしたものが採用されたのでした。

コカ・コーラ社によるガイドマップを読む男性 (東京1964)

コカ・コーラ社によるガイドマップを読む男性
(東京1964)

日本で初めて開催されたオリンピックにおいても、コカ・コーラはさまざまな支援を行いました (東京1964)

日本で初めて開催されたオリンピックにおいても、コカ・コーラはさまざまな支援を行いました
(東京1964)

◇1968年:グルノーブル大会(冬季)・メキシコシティ大会(夏季)

コカ・コーラ社は冬季と夏季の両方において、全米の視聴者向けにオリンピック放送番組を提供した初のスポンサーとなりました。また、この年はオリンピックをテーマにしたテレビCMで、自宅でオリンピック観戦を楽しむ人を増やすことに貢献しました。

◇1972年:札幌大会(冬季)

日本で開催された初めての冬季オリンピックとなった1972年の札幌大会では、世界から集まった若者や関係者に憩いのひと時を提供するため、「コカ・コーラ」や「ファンタ」などを大々的にサンプリング。各会場は、コカ・コーラ社製品を求める人たちで混み合いました。この大会を通じて、日本でのコカ・コーラ社の存在感はより大きいものになりました。

また大会期間中の飲料提供に加え、大会開幕の1カ月前には30万枚の「オリンピック記念世界地図」を北海道内の中学校に寄贈。若い世代にオリンピックを身近に感じてもらう機会も提供しました。

札幌1972当時の広告 (札幌1972)

札幌1972当時の広告
(札幌1972)

◇1972年:ミュンヘン大会(夏季)

コカ・コーラ社が『公式清涼飲料』の協賛企業に認定されるなど、オリンピックとのつながりがさらに強まりました。アメリカでは17種の大型記念メダルを製作し、その売り上げを同国オリンピック委員会へ寄付しました。

◇1980年:レークプラシッド大会(冬季)

大量の宣伝グッズを製作して市民に提供。オリンピックにちなんでデザインされた8種の記念ボトルの特別セットなどは特に人気が高く、これ以降、オリンピック関連の記念グッズへの関心は驚異的な勢いで広まりました。

ザ コカ・コーラ カンパニーによる世界初のフィギュアスケーティングロボット"Kobot“ (レークプラシッド1980)

ザ コカ・コーラ カンパニーによる世界初のフィギュアスケーティングロボット"Kobot“
(レークプラシッド1980)

◇1984年:ロサンゼルス大会(夏季)

コカ・コーラ社が、オリンピックとしては初の公式企業スポンサーになりました。大会マスコットの「イーグルサム」は、オリンピックを記念した23種の「コカ・コーラ」の缶に描かれました。

観客に提供された双眼鏡 (ロサンゼルス1984)

観客に提供された双眼鏡
(ロサンゼルス1984)

◇1988年:カルガリー大会(冬季)

23カ国から選ばれた43人の若者で編成された「コカ・コーラ ワールド・コーラス」が開会式と閉会式で大会テーマ曲「Can’t You Feel It?」を熱唱しました。

また、「コカ・コーラ ピントレーディングセンター」を初めて開設したところ、1日17,000人以上が訪れ、ピントレーディングが「大会で最も人気のある観客用スポーツ」として新たな伝統を生み出す拠点となりました。 ピントレーディングに関して詳しくはこちら

「コカ・コーラ オリンピック競技大会公式ピントレーディングセンター」を初めて開設 (カルガリー1988)

「コカ・コーラ オリンピック競技大会公式ピントレーディングセンター」を初めて開設
(カルガリー1988)

◇1992年:バルセロナ大会(夏季)

開催国以外の海外聖火ランナーを募集する国際プログラムに協賛し、50カ国以上から150人の一般の方々に、聖火リレーに参加していただきました。

大会の盛り上げに大きな役割を果たす聖火リレーも、コカ・コーラとのパートナーシップから始まりました (バルセロナ1992)

大会の盛り上げに大きな役割を果たす聖火リレーも、コカ・コーラとのパートナーシップから始まりました
(バルセロナ1992)

◇1994年:リレハンメル大会(冬季)

企業向け広告に登場したコカ・コーラ ポーラーベアは、世界で最も人気のあるウィンタースポーツの「競争相手」となりました。1992年のバルセロナ大会に続き、「オリンピック聖火ランナー国際プログラム」のプレゼンティングパートナーとして支援しました。

◇1996年:アトランタ大会(夏季)

オリンピック100周年にあたるこの大会では、「コカ・コーラ」発祥の地で関催されたオリンピックを歓迎してファンがさまざまなスタイルで楽しめるよう工夫をこらしました。

「Coca‑Cola Olympic City(コカ・コーラ オリンピックシティ)※」「The Coca‑Cola Folk Art Exhibit(コカ・コーラ フォークアート展)※」「Coca‑Cola Official Olympic Pin Trading Center(コカ・コーラ オリンピック・ピントレーディング・センター)※」をはじめ、コカ・コーラ社の開設したさまざまなインタラクティブ施設には数十万人もの人が詰めかけました。

広さ12エーカー(約48,562m2)の「コカ・コーラ オリンピックシティ※」では、入場者が自分の力を試せるバーチャルオリンピック競技の世界、歴代の名コーチから技術やコツを教えてもらえるスポーツ教室、オリンピック代表選手との交流会など、20近くのアトラクションや特別イベントを開催。

「コカ・コーラ フォークアート展※」では、独特の曲線でおなじみの「コカ・コーラ」のボトルをキャンパスに見立てて創作された、さまざまなフォークアート作品を紹介しました。

「コカ・コーラ ピントレーディング・センター※」で交換されたピンの数は300万個を超え、史上最高となりました。

1996年のアトランタ大会では、コカ・コーラ社はオリンピック聖火リレーの単独プレゼンターを務め、計1万人の聖火ランナーのうち2,500人を選出しただけでなく、「オリンピック国際聖火ランナープログラム」の規模を拡大して、70を超える国から参加者を派遣しました。日本からはコカ・コーラ社が選出した、ノルディックワールドカップチャンピオンで1994年のリレハンメル大会金メダリストの荻原健司氏と、弟の次晴氏らが、オリンピック聖火リレーに参加しました。

※いずれも開催当時の名称です。

「Coca-Cola Olympic City(コカ・コーラ オリンピックシティ)※」 (アトランタ1996)

「Coca‑Cola Olympic City(コカ・コーラ オリンピックシティ)※」
(アトランタ1996)

スタジアムで提供されたシートプロテクター (アトランタ1996)

スタジアムで提供されたシートプロテクター
(アトランタ1996)

◇1998年:長野大会(冬季)

日本で3回目に開催されるオリンピックとなった1998年の長野大会も、コカ・コーラ社は盛大に盛り上げました。コーヒーブランド「ジョージア」がオリンピック聖火リレーのプレゼンティングパートナーを務め、コカ・コーラ社がオリンピックの支援を開始してから初めて温かい飲み物が提供されることとなり、観客や選手の体を温めました。

また、この大会は、聖火ランナーを一般公募した初めての大会としても記憶されています。コカ・コーラ社が行った第1回目の公募では、各47都道府県から1名ずつ聖火ランナーを選出。第2回目の公募では聖火ランナーと、リードエスコートランナーを2人1組で募り、夫婦、親子、友人などのペアが参加するなど、多くの人びとがオリンピック聖火リレーの感動を味わいました。

そのほかにも、コカ・コーラ社からタレントやスポーツ選手などを聖火ランナーとして選出し、注目を集めました。大会中には、おなじみの「コカ・コーラ オリンピック競技大会公式ピントレーディングセンター」と、超人気の「ピン・オブ・ザ・デイ」に加え、新たにファンプラザを設け、来場者に軽食やグッズ、インタラクティブなエンターテインメントなどを提供しました。また、切り絵アートプログラムのスポンサーとなり、大会の記念として日本の伝統芸能である切り絵3,500枚をオリンピック選手や関係者にプレゼント。図案はオリンピック村の室内装飾にも使われました。

聖火ランナーのポスター (長野1998)

聖火ランナーのポスター
(長野1998)

日本国内で開催された2回目の冬季オリンピック。コカ・コーラの支援は多岐にわたりました (長野1998)

日本国内で開催された2回目の冬季オリンピック。コカ・コーラの支援は多岐にわたりました
(長野1998)

◇2004年:アテネ大会(夏季)

近代オリンピック第1回が開催された土地である本大会では、5大陸33都市をつなぐオリンピック聖火リレーを実施。日本コカ・コーラ社は、オリンピック聖火リレーが実施された東京にて、リレー開催時に沿道に排出されるゴミの収集をする「コカ・コーラ グリーンチーム」を結成。約300人のボランティアが清掃活動を行いました。また、コカ・コーラ社全体では、世界で11,000人以上の聖火ランナーが選出されました。

コカ・コーラ社によるオリンピック聖火リレーのマップ (アテネ2004)

コカ・コーラ社によるオリンピック聖火リレーのマップ
(アテネ2004)

◇2008年:北京大会(夏季)

「環境」を大会のテーマとした2008年の北京大会で、コカ・コーラ社は北京と、6つの共催都市でさまざまな体験コーナーやスペシャルイベントを開催。「コカ・コーラ」キャンペーンの長年のキーワードである“世界とのつながり”、“絆”、“さわやかさ”というメッセージを世界中の人びとに向けて発信。

そのほかにも消費者プロモーションの景品として、PETボトルのリサイクル素材を50%使用したTシャツを採用したり、オリンピック聖火リレーではコカ・コーラ社の環境活動に積極的に参加していた北島康介氏、細川佳代子氏(スペシャルオリンピックス日本設立者)、関口菜央氏(第4回 コカ・コーラ環境教育賞受賞者)の3名を選出したりしました。

環境を配慮してコットンとリサイクルPETから作られたTシャツ (北京2008)

環境を配慮してコットンとリサイクルPETから作られたTシャツ
(北京2008)

◇2012年:ロンドン大会(夏季)

コカ・コーラ社は、大会組織委員会の「オリンピック史上最大のサステナビリティー施策を展開する」という目標に賛同し、PETボトルをリサイクルする工場を大会前に建設。これによりオリンピックで使用されたPETボトルが、6週間後には再度店舗の棚に並ぶようになり、リサイクル文化の定着に貢献しました。

加えて、コカ・コーラ社は、“MOVE TO THE BEAT”というアイデアのもと、さまざまな活動を実施。グローバルで展開するオリンピックのキャンペーンソングとして、グラミー賞受賞音楽プロデューサーであるマーク・ロンソンのプロデュースにより「Anywhere in the World」を制作しました。オリンピックの持つ躍動感や魅力を、音楽を切り口にすることで、特に若い人たちに対して積極的に発信していきました。

“MOVE TO THE BEAT” キャンペーン開始時に公開されたBeat Wall(ビートウォール) (ロンドン2012)


“MOVE TO THE BEAT” キャンペーン開始時に公開されたBeat Wall(ビートウォール)
(ロンドン2012)

ロンドン大会では、オリンピックの躍動感を“Beat”(音楽)を切り口に表現しました (ロンドン2012)

ロンドン大会では、オリンピックの躍動感を“Beat”(音楽)を切り口に表現しました
(ロンドン2012)

◇2016年:リオ大会(夏季)

南アメリカ大陸で初めて開催されることとなった2016年のリオ大会は、スローガンとして「A New World(新しい世界)」を掲げました。オリンピック聖火リレーはブラジル国内の320以上の都市を巡り、空路1万6,000キロ、陸路2万キロの距離を1万2,000人の聖火ランナーが、南米初となる国内オリンピック聖火リレーに参加し、聖なる炎を運びました。割り当てられた200メートルの区間を走る聖火ランナーたちの先導をサポートしたのがスポンサーのトラックでした。コカ・コーラ社のトラックは、オリンピック聖火リレー中、「コカ・コーラ ゼロ」の限定ミニ缶や、大会限定の250mlPETボトルを含む、130万本にも及ぶコカ・コーラ社製品を配布しました。

オリンピック・パーク内のパビリオンでは、限定の「コカ・コーラ」ゴールドボトル(当日の日付や競技名が刻まれている)が、キンキンに冷やされた状態で来場者に配布され、好評を博しました。また、再開発が進んでいるPorto Maravilha(ポルト・マラヴィーリャ)地区には、若い世代向けに「Parada Coca‑Cola(コカ・コーラ ステーション)」を特設。ラテンアメリカ最大の「コカ・コーラ」グッズストアや、オリンピックをモチーフにした数々のアトラクションが展開されました。ステーションの入り口には連日1,000人以上の行列ができるほどの盛況ぶりでした。また、ステーションでは世界各国から派遣されたブロガーやインフルエンサーが、そこを起点にSNSでの情報発信をするなど、若い世代に向けてソーシャルメディアを使ったコミュニケーションを積極的に展開しました。

この大会において、現地のコカ・コーラ社では、アクティブライフスタイルの推進や、各自のライフスタイルに合わせて製品を選択いただけるよう、小容量のPETボトルの積極的な展開などを行いました。なお、この大会ではコカ・コーラ社ブースに地元の若者を業務担当として採用し、雇用創出にもつなげました。

オリンピック聖火リレーを先導するコカ・コーラ社のトラック (リオ2016)

オリンピック聖火リレーを先導するコカ・コーラ社のトラック
(リオ2016)

パビリオン内のドリンクカウンター (リオ2016)

パビリオン内のドリンクカウンター
(リオ2016)

◇2018年:平昌大会(冬季)

「平和と未来」がテーマとなった2018年の平昌大会でも、コカ・コーラ社は寒さに負けず大会を熱く盛り上げました。大会前には、消費者向けのオリンピック関連コミュニケーションのプラットフォームとしてモバイルアプリ「CokePLAY」を立ち上げ、聖火ランナーを募集したり、大会中はコカ・コーラ社ならではの特別な体験を楽しめる巨大自動販売機をモチーフにしたイベントスペースなどを開設したりしました。日本からはオリンピック聖火リレーに、コカ・コーラ・チーフ・オリンピック担当オフィサーである北島康介氏と、日本コカ・コーラとパートナーシップ契約を締結している世界トップクライマーの白石阿島選手が、コカ・コーラ社を代表して、韓国・蔚山(ウルサン)でおよそ200メートルの区間をそれぞれ快走し、オリンピック聖火リレーをつなぎました。

ソウルと江陵(カンヌン)に設置された、本物の自動販売機と同じように硬貨を入れてボタンを押すと「コカ・コーラ」を購入できる「コカ・コーラ」巨大自動販売機は、およそ20メートルの高さを誇る大きい自動販売機の中にてイベントやアクテビティを提供し、消費者や海外からの観光客が大会をより楽しめるよう盛り上げました。

そのほかにも、江陵オリンピックパーク内では、凍えた体を温められる屋外暖房スペースの提供や製品サンプリング、写真撮影スポットなど、さまざまなサービスやイベントを実施し、ワクワクする特別な体験を提供しました。さらに、ピントレーディングを体験できる「江陵ピントレーディングセンター」を設け、過去のオリンピック競技大会の限定「コカ・コーラ」ピンを展示しました。

オリンピック聖火リレーに参加した白石阿島選手と北島康介氏 (平昌2018)

オリンピック聖火リレーに参加した白石阿島選手と北島康介氏
(平昌2018)

イベント会場には巨大な「コカ・コーラ」の自動販売機が登場 (平昌2018)

イベント会場には巨大な「コカ・コーラ」の自動販売機が登場
(平昌2018)

コカ・コーラ社と1964年東京オリンピック

 聖火ランナーと各種競技のイラスト