日本におけるコカ・コーラビジネスの歴史 コカ・コーラ社と1964年東京オリンピック
今年6月に、創立60周年を迎える日本コカ・コーラ株式会社。
それを記念して、日本コカ・コーラの社史と清涼飲料「コカ・コーラ」の日本市場における歴史を紐解いていく連載企画です。
本記事では、「コカ・コーラ」と1964年東京オリンピックの関わりについてご紹介します。
イラスト=宮内大樹
1928年(昭和3年)のアムステルダム大会(夏季)以来、コカ・コーラ社はオリンピックのワールドワイドパートナーを務めてきました。アムステルダム大会(夏季)では、なんと1万3,000缶もの「コカ・コーラ」が貨物船で米国からオランダへ運ばれ、選手たちの喉を潤しました。
1964年(昭和39年)にアジア初の開催となった東京大会(夏季)でも、コカ・コーラ社はさまざまな支援を行っています。
大会の2ヵ月前から、「オリンピックキャンペーン」と冠したオリンピックのPR施策と「コカ・コーラ」のサンプリングを全国で展開し、オリンピックムードの盛り上げに貢献しました。
聖火リレー歓迎キャンペーンも、そのPR施策の一つです。
1964年8月21日にギリシャを出発したオリンピック聖火は、11ヵ国の各都市を経由して、9月7日に沖縄県那覇市に上陸。そこから鹿児島県鹿児島市、宮崎県宮崎市、北海道千歳市に空輸され、日本を縦断する聖火リレーが行われました。当時の全国16のボトラー社(*)はこれに協賛し、ボトラー社の車両が聖火ランナーを先導あるいは追走したのです。
*日本コカ・コーラが原液の供給、製品の企画開発、マーケティング活動を担い、ボトラー社は製品の製造、販売などを担う。
また、日本コカ・コーラは、10月10日から10月24日までの大会期間中は、毎日午後の3時間競技を生中継した番組(全国16局で中継)を提供しました。
大会期間中に世界各国から訪れる選手、メディア、観光客のために、観光情報や日本の情勢をまとめたガイドマップや日英会話集を制作したり、競技場への経路を分かりやすく表示した街頭標識も設置しました。東京大会以降、各国のコカ・コーラ社は、これらの取り組みを参考にしてオリンピックに協力するようになりました。
このようにして、オリンピックの成功のために、日本コカ・コーラとボトラー各社の総力を結集して大会をサポートしたのです。
2020年には、ふたたび、オリンピックが東京にやってきます。もちろん今回も、大会を盛り上げるために全力でサポートしていきます。